期待値を少なく生きる?成功体験の少ない者の心得?

私は今まで、幾度となくがっかりして生きて来た気がします。好きな友達が他に仲の良い子がいた、自分が1番じゃ無いだとか、遊んでも盛り上がらなかっただとか、気の合う人が職場や学校で見つからなかった、今日はとりあえずフィーバー出来なかった(笑)などです。

私は毎日楽しい事を求めていました。しかし、毎日話したい人と話せて、良い出会いがあって、友達とうまい具合に盛り上がれて、仕事で活躍できてという事があり得るはずがない。そりゃ、毎日どよーんとして生きている現在の私では楽しい人は寄ってこないなとは分かります。しかし、無理にキャピキャピしている自分に本当に波長の合う人は寄ってくるのか…?別に寄ってこなかった気がします。

また、パリピ、コミュニケーション能力の高い人達に人一倍の憧れと仲良くなりたいという願望を抱いて来て、無理をしその明るい自分という虚像は崩れ去り、残ったのはあしたのジョーの名シーンの様な、自分という入れ物のみでした。真っ白な灰の様。崩れない様にそこにいるだけで精一杯になっていたのです。

何故そこまでその環境に執着しているのかは分かりません。中々特殊な環境にいる気もします。そこでしか、ワクワクできない自分がいます。なのに向いていないのも分かっている。
少し静かなグループに静かにはまっているのです。

それはそれで、もう良いのですが、どうしても仕事を上手くやる上では上のノリの方ともそれなりにノリを合わせて話す必要がある。何とも難しい様な、そのままで行けば?という思いがよぎる時もある、正解のない問題が常に脳裏にこびりついています。

そのままでいって、飄々としている子は話していても辛くないし、話しやすい。そんな例も見ているので、堂々としてろよ!と叱る声、ここは話しかけ過ぎず!引く時やで!という謎の関西弁による警告、あまり踏み込むなという石橋叩きなど色んなオーディエンスを脳内に流して話す内容やタイミングを決めます。

しかし、大体それをしていると話しかけるタイミングというのはズレています。

普通にそれらをこなして来た方々はひとつひとつに注意を払わなくても自然と空気や表情、これまでの経験から瞬時にそれをこなすのでしょう。

コミュ障、というのは日々緊張状態にある、誠に辛い病です。それだけに、上手くいったであろうという時の喜びは筆舌に尽し難く、それだけでドーパミンなどあらゆる快楽物質が脳内に溢れ出ている事でしょう。

だから、今日もあの強烈な快楽が来て欲しい、と脳が欲してしまうのだと思います。